「SAPとは」で検索すると、たいていこう説明されます。ドイツ生まれのERPパッケージで、会計・購買・販売・在庫・生産・人事が一つのデータの上で動く統合基幹業務システムである、と。
間違っていません。ただ、この説明を10回読んでも、その現場で人が毎日何をしているのかは一行も分からない。私はそこで長いこと足踏みしました。
私は経理からこの領域に入り、アビームコンサルティング、アクセンチュアを経て、いまはSAPのFI(財務会計)を中心に導入プロジェクトを見ています。振り返ると、SAPが分かった瞬間というのは、製品の説明を理解したときではありませんでした。「この仕事は、会社の決めごとをシステムの設定に落とす仕事だ」と腹に落ちたときです。
この記事は、製品の説明をやり直す記事ではありません。案件の説明をします。何という単位で仕事が募集され、誰と誰がいて、自分はどこに立って、毎日何をしているのか。そこから逆にSAPを説明します。
製品としてのSAPは、ここまで分かれば足りる
先に、製品の側を最短で片づけます。ここは3分でいい。
- SAPは、ドイツのSAP SE社が作っている業務システムのパッケージです
- 会計、購買、在庫、販売、生産、人事といった業務が、同じデータの上で連動するのが最大の特徴です
- 大企業を中心に、日本でも基幹システムとして広く使われています
- 旧世代のSAP ECCから、現行世代のS/4HANAへの移行が、いま各社で進んでいます
現場で意味を持つのは、実はこの4つ目です。ECCの標準保守は2027年末に区切られており(有償の延長保守で2030年末までという選択肢はあるものの、限定的です)、そのため移行プロジェクトが各社で立ち上がっています。この事情が、いま案件が多い理由そのものです。詳しくはS/4HANAへの移行で案件は本当に増えるのかに書きました。
製品の説明は、本当にここまでで足ります。機能の一覧を覚えても、案件では一度も使いません。
案件の側から見ると、SAPは「決めごとを設定に落とす仕事」になる
ここからが本題です。
会社には、数え切れないほどの決めごとがあります。売上をいつ立てるか。締めは何日か。誰の承認が要るか。原価をどう配賦するか。どの単位で在庫を持つか。これらは普段、担当者の頭とExcelと、慣習の中に散らばっています。
SAPを入れるというのは、その決めごとを一度全部引きずり出して、明文化して、システムの設定として固定するということです。
SAPの導入プロジェクトで起きていることの正体は、システムの構築ではなく、会社の決めごとの棚卸しと再決定である。
だから難所は技術ではありません。難所は、決まっていなかったことを、決めさせることです。
「その承認、いまは誰がやっていますか」と聞いて、「部長です」「いや、忙しいときは課長が」「実質は担当が押しています」と三人から違う答えが返ってくる。この状態のまま設定はできません。誰かが交通整理をして、決めて、決めた結果を文書にする必要があります。SAPコンサルの仕事時間の大半は、この整理と合意形成に溶けています。
導入プロジェクトは、こういう順番で進む
案件の話をするには、工程を知っているほうが早い。標準的な導入は、おおむねこの順で進みます。
| 工程 | やること | コンサルの主な役割 |
|---|---|---|
| 構想・企画 | 何のために入れ替えるかを決める。範囲と予算の骨格 | 経営層との議論。参画するのは上位層が中心 |
| 要件定義 | 現行業務を洗い、あるべき姿を決める | いちばん人が要る。決めごとの引き出しと合意形成 |
| 設計 | 決めたことを、設定と追加開発に振り分ける | 標準機能でどこまでやるかの線引き |
| 開発・設定 | 実際に設定を入れる。追加開発は開発者が作る | 設定は自分で手を動かす。仕様は自分が書く |
| テスト | 単体、結合、そして業務部門による受入テスト | シナリオを作り、出た不具合を切り分ける |
| データ移行 | 旧システムの残高やマスタを移す | 会計の残高が合うかは会計側の担当が見る |
| 本番稼働・稼働直後 | 切替。初回の締めを乗り切る | ここが山。問い合わせが一気に来る |
| 保守・運用 | 障害対応、追加の改修、法改正対応 | 導入とは別の仕事に変わる |
案件の募集がいちばん多いのは、要件定義から本番稼働までの帯です。人が要るのはここだからです。
そして独立して受ける立場から見ると、導入案件と保守案件は、まったく別の仕事です。ここは後でもう一度書きます。
仕事は「モジュール」という単位で割られている
SAPの案件情報を見ると、必ずアルファベット2文字が付いています。これがモジュールで、業務領域の区切りです。募集はほぼこの単位で来ます。
| 略号 | 領域 | ざっくり何をする人か |
|---|---|---|
| FI | 財務会計 | 仕訳、債権債務、固定資産、決算。外に出す数字を作る |
| CO | 管理会計 | 原価、配賦、収益性分析。中で使う数字を作る |
| MM | 購買・在庫 | 発注、入庫、請求書照合 |
| SD | 販売 | 受注、出荷、請求 |
| PP | 生産 | 生産計画、製造指図 |
| HR/HCM | 人事 | 人事マスタ、給与 |
| ABAP | 追加開発 | 標準機能で足りない部分をプログラムで作る |
私はFIを軸にしています。FIとCOは境目が曖昧に見えますが、実務では見ている相手が違います。FIは外(監査法人、税務、開示)を向いていて、COは中(事業部、経営)を向いている。この違いはSAPのFIとCOの違いに分けて書きました。
**モジュールをどれか一つ、縦に深く取ることが、この領域でのキャリアの基本形です。**広く浅く全部を触った人より、FIだけを5年やった人のほうが案件では選ばれます。どのモジュールから入るかの考え方はSAPのモジュール、どれを選ぶかに整理しました。
要件定義の現場で、実際にやっている作業
抽象的な説明が続いたので、具体を出します。FIの要件定義で、私が実際にやっていることです。
1. 現行のやり方を、聞いて書く
経理部に行って、月次の締めを何日にどうやって回しているかを、手順の粒度で聞きます。「25日に売上を締めて」ではなく、「誰が、どのファイルを、どこから取ってきて、何を突き合わせて、誰に渡すか」まで落とします。ここで初めて、システムに載っていない作業が大量に出てきます。
2. 標準機能でできるか、を判定する
聞いた要望を、そのままシステムに作るわけではありません。SAPには標準のやり方があり、そこに業務を寄せられるなら、そのほうが安く、後の保守も楽です。判定は3択になります。
- 標準機能の設定で実現できる(いちばん良い)
- 業務のやり方を少し変えれば、標準で実現できる(説得が要る)
- どうしても追加開発が必要(費用と保守負担が増える)
この3択の2番目を通せるかどうかが、コンサルの腕です。「できません」でも「作ります」でもなく、「こう変えれば標準で回ります、その代わりここが楽になります」と言えるかどうか。
3. 決めた内容を文書にして、承認をもらう
口頭で合意しても、3か月後には全員が別のことを覚えています。決めたことは必ず書いて、業務部門の承認をもらいます。地味ですが、**この文書が後半の防波堤になります。**テストで揉めたとき、稼働後に「聞いていない」と言われたとき、根拠になるのはこの紙だけです。
4. 設定を入れて、動かして見せる
設定作業そのものは、慣れれば時間はかかりません。難しいのは、入れた設定が業務のどこに効くかを説明することです。会計期間を締める設定ひとつで、月末の現場の動き方が変わります。
この仕事の難しさは、製品知識の側にはない
未経験の方からよく聞かれるのが、「覚えることが膨大で無理ではないか」という不安です。正直に答えます。
**製品知識は、案件をやりながら覚えられます。**設定項目の意味も、トランザクションコードも、現場で使えば身につきます。ここは時間の問題です。
きついのは別のところです。
- 決められない会社の、決めごとを決めさせる。権限のない立場で、部門間の利害を調整することになります
- 誰も全体を知らない。現行業務の全体像を持っている人が、その会社にいないことがあります
- 後半に効いてくる判断を、前半でしている。要件定義で置いた前提が、稼働直前に牙をむきます
- 稼働直後の1か月。初回の決算を回しきるまでは、電話が鳴り止みません
現場のきつさの正体は、時間の長さだけでは説明しきれません。そちらはコンサルはきついのかに、盛らずに書きました。
逆に言えば、業務を分かっていて、人の話を整理できる人には、向いている仕事です。経理出身者がこの領域で強いのは、まさにここです。仕訳の意味が分かる人は、要件を聞いた瞬間に「それは資産計上か費用か」を確認できます。分からない人は、そこを飛ばして設計してしまう。
私自身が経理からこの領域に移った経緯は、経理からSAPコンサルへ転身した実話に書いています。
入口は一本ではない
「SAPコンサルになるには」を調べると、たいてい転職の話だけが出てきます。実際には入口が複数あり、入った後に見えるものも違います。
| 入口 | 最初に任されること | 弱点になりやすいところ |
|---|---|---|
| 新卒でコンサル会社に入る | テストや資料作成から。教育の仕組みがある | 業務そのものを知らないまま設計に入る |
| IT側から中途で入る | 設計や開発の周辺。技術の会話ができる | 会計・業務の言葉が最初は入ってこない |
| 経理・業務側から中途で入る | 業務要件の整理。現場との会話が強い | システムの制約が体感で分からない |
| 事業会社のユーザー側で経験する | 自社の導入プロジェクトに参加する | 一社のやり方しか知らないまま出る |
どれが有利かではありません。**足りない側を後から埋めた人が、最終的に強くなります。**IT側から入った人は会計を、業務側から入った人はシステムの制約を、それぞれ意識して取りに行く必要があります。
未経験からの現実的な道筋は未経験からSAPコンサルへのロードマップに、資格の効き方はSAPの資格は要るのかに分けて書きました。
独立して受ける側から見ると、導入と保守は別の商品になる
ここは、いずれ独立を考えている人向けです。
同じ「SAPの案件」でも、導入と保守では受け方がまるで違います。
| 見る軸 | 導入案件 | 保守・運用案件 |
|---|---|---|
| 期間 | 数か月〜数年。終わりがある | 継続。切れにくい |
| 稼働の波 | 山と谷が激しい。稼働直前は重い | 平坦。読みやすい |
| 求められるもの | 決めさせる力、設計の判断 | 早い切り分け、業務の網羅的な理解 |
| 単価の作られ方 | 役割の重さで決まる | 対応範囲と時間で決まりやすい |
| 独立直後の相性 | 実績が要る。いきなりは入りにくい | 入りやすいが、実績になりにくいこともある |
独立して最初の1年は、この二つを混ぜて持つ人が多い。保守で稼働の土台を作り、導入で実績と単価を作るという組み方です。私も最初はその形でした。
単価がどう決まるかの構造はSAPコンサルの単価に、独立が現実的かどうかはSAPコンサルの独立は現実的かに書いています。
「SAPとは」に、私なりに一行で答える
最後に、最初の問いに戻ります。
SAPとは、会社の決めごとを一箇所に固定するための仕組みであり、SAPコンサルとは、その決めごとを引き出して、決めさせて、設定に落とす仕事である。
製品の説明としては不正確かもしれません。でも、案件の説明としてはこれがいちばん近い。私はこの理解に辿り着くまでに、数年かかりました。
そして、この定義が正しいとすれば、この仕事に一番効く経験は、業務そのものを回した経験だということになります。経理でも、購買でも、生産管理でもいい。自分が現場で「これ、なんでこうなってるんだろう」と思った回数が、そのまま資産になります。
まとめ
- 製品としてのSAPは、業務が同じデータの上で連動するパッケージ。知っておくべきはECCからS/4HANAへの移行が進んでいることまでで足りる
- 案件の側から見ると、SAPの仕事は会社の決めごとを引き出し、決めさせ、設定に落とす仕事
- 工程は構想から保守まであり、人が最も要るのは要件定義から本番稼働まで
- 仕事はFI・CO・MM・SDといったモジュール単位で募集される。一つを縦に深く取るのが基本形
- 難しいのは製品知識ではなく、決まっていないことを決めさせること
- 入口は新卒・IT側・業務側・ユーザー側の複数がある。足りない側を後から埋めた人が強くなる
- 独立して受けるときは、導入案件と保守案件は別の商品として考える
いま自分が持っている業務経験のどこがこの領域で効いて、何が足りないのかを整理したい方は、30秒の無料診断から始めてみてください。製品を覚える前に、自分の現在地が言葉になるほうが先です。