ファームを辞めると決めた人の手元に並ぶ選択肢は、たいてい2つです。別のファームに移るか、事業会社に行くか。
3つ目の「独立」は、並びません。並べたくないからではなく、並べるための材料が来ないからです。
転職の情報は、放っておいても向こうから届きます。求人票という形で、年収レンジも、職務内容も、勤務地も、比較可能な形に整えられて届く。一方で独立の情報は、誰も整えて送ってくれません。単価も、稼働も、契約条件も、自分で人に聞きに行かないと数字になりません。
**だから2択に見えるだけで、実際には3択です。**私はSAP導入のPMとしてファームを出るとき、事業会社の話も受けていました。結果的に独立を選びましたが、決め手は「独立のほうが良さそう」ではなく、同じ物差しに乗せてみたら、思っていたのと順位が違ったということでした。
この記事は独立を勧めるためのものではありません。3つを同じ表に乗せる作業を、私が実際にやった手順で再現します。乗せた結果として事業会社を選ぶなら、それは十分に良い判断です。
そもそも、なぜ3つ目が並ばないのか
比較には、比較できる形の情報が要ります。3つの選択肢は、情報の届き方が非対称です。
| 選択肢 | 情報の届き方 | 事前に分かること |
|---|---|---|
| 別のファーム | 求人票・面接 | 年収レンジ、役職、評価制度、案件の傾向 |
| 事業会社 | 求人票・面接 | 年収レンジ、職務内容、勤務地、福利厚生 |
| 独立 | 自分で聞きに行くしかない | 何も。聞いた人の数だけ分かる |
この非対称は、実力や適性とは何の関係もありません。ただの流通の問題です。
そして流通の問題は、順位を歪めます。**情報が整っている選択肢のほうが、安全に見える。**求人票に書かれた年収600万円は、根拠が示されているように見える。一方で「独立したら月いくらか」は、誰かに聞かないと空欄のままです。空欄の選択肢は、比較表の中では自動的に負けます。
だから最初にやることは、決めることではなく、空欄を埋めることです。
物差しを4本に絞る
3つを並べるとき、項目は増やしすぎると決まらなくなります。私が最後まで残したのは4本でした。
- 手取り(額面ではなく、生活に届く額)
- 稼働の下限(絶対に取られる時間)
- 切られたときに何が守るか(守り方の種類)
- 次の1年に積み上がるもの(3年後に説明できる材料)
年収、役職、会社の知名度は、この4本の下に置きました。理由は後で書きます。
物差し1|額面ではなく手取りで並べる
いちばん間違えやすいのがここです。「独立したら年収が上がる」も「独立したら手取りが減る」も、どちらも比べ方を間違えています。
会社員の額面と、業務委託の報酬は、そもそも同じ意味の数字ではありません。
会社員のとき、あなたの年収600万円の裏側では、会社がさらに保険料を負担しています。厚生年金の保険料率は18.3%で、これを会社と本人で折半します(本人負担は9.15%)。健康保険も労使折半で、料率は保険者や都道府県によって異なります。つまり会社は、あなたの額面の1割強を上乗せして払っている。
独立すると、この上乗せぶんは消えます。消えて自分に来るのではなく、支払い側の総額の中に埋もれます。だから「額面600万円だったから、月50万円の案件なら同じ」という計算は、最初から狂っています。
逆に、独立側にだけ効く要素もあります。
| 項目 | 会社員 | 業務委託 |
|---|---|---|
| 社会保険 | 労使折半(会社が半分) | 国民健康保険・国民年金を全額自己負担 |
| 経費 | 給与所得控除(自動計算) | 実額で経費計上。事業に必要なものは落ちる |
| 消費税 | 関係なし | 報酬に消費税が乗る。免税・課税で手元が変わる |
| 時間の売り先 | 1社に固定 | 分割できる(掛け持ちの可否は契約次第) |
**この4つが逆向きに効くので、額面の比較には意味がありません。**必要なのは、3つの選択肢それぞれについて「年間で手元にいくら残るか」を1枚に出すことです。
やり方はフリーランスの手取りの分解に全部書きました。ここでは結論だけ言うと、同じ手取りに着地させるための必要額は、会社員の額面より高くなるのが普通です。その差は「独立で損した」のではなく、会社が負担していたものが可視化されただけです。
そして重要なのは、この計算をやると事業会社のオファーも同じ精度で疑えるようになることです。額面が上がっても、残業代の扱いや家賃補助の有無で手取りは動きます。3つを同じ精度で見るために、この計算は最初にやる価値があります。
物差し2|稼働の下限を書き出す
3つの選択肢は、「絶対に取られる時間」の性質が違います。
- 別のファーム:案件の状況に連動する。ピークの上限が高い
- 事業会社:所定労働時間という下限がある。上限は会社と職種による
- 独立:契約した稼働がそのまま下限。上限は自分で決められる(が、下げると収入が下がる)
ここで見落とされがちなのは、独立の「自由」は上限側の自由であって、下限側の自由ではないという点です。週3日で契約したら、その週3日は動かせません。むしろ会社員より動かしにくい。理由は、業務委託の報酬が「時間の対価」ではなく「約束した事務の処理の対価」だからです。
民法644条は、受任者の義務をこう書いています。
受任者は、委任の本旨に従い、善良な管理者の注意をもって、委任事務を処理する義務を負う。
「本旨に従い」の部分が効きます。**契約した内容を、契約した水準でやる。**そこに有給休暇はありません(業務委託に有給はないに、私が39度で寝込んだときの話を書きました)。
一方で、独立側にしかない自由もあります。取らないという選択ができる。事業会社では、来た仕事を断る余地は小さい。独立では、稼働の合計を自分で決められます。ただし決めた分だけ収入が減るので、これは自由というよりトレードオフの可視化です。
比べるときは、この形にしてください。
| 下限(動かせない時間) | 上限(ピーク時) | 断れるか | |
|---|---|---|---|
| 別のファーム | 所定労働時間 | 案件次第で高い | ほぼ断れない |
| 事業会社 | 所定労働時間 | 会社・職種による | 部分的に |
| 独立 | 契約した稼働 | 自分で決める | 断れる(収入は減る) |
物差し3|切られたときに、何が守るか
ここが、いちばん誤解されている項目です。
「独立は不安定で、会社員は安定している」という言い方をよくします。**正確ではありません。**正確には、守り方の種類が違うだけです。どちらも無防備ではありません。
事業会社の側にあるもの
労働基準法をはじめとする労働法制が効きます。解雇には客観的に合理的な理由と社会通念上の相当性が要り、雇用保険の失業給付もあります。**雇用されているという一点で、まとまった保護が自動的についてくる。**これは大きい。
独立の側にあるもの
「何もない」と思われがちですが、2024年11月に施行されたフリーランス新法(特定受託事業者に係る取引の適正化等に関する法律)が、いくつかを義務として固定しました。条文を引きます。
取引条件の明示(3条1項)
業務委託事業者は、特定受託事業者に対し業務委託をした場合は、直ちに、公正取引委員会規則で定めるところにより、特定受託事業者の給付の内容、報酬の額、支払期日その他の事項を、書面又は電磁的方法…により特定受託事業者に対し明示しなければならない。
報酬の支払期日(4条1項)
報酬の支払期日は、…当該特定業務委託事業者が特定受託事業者の給付を受領した日…から起算して六十日の期間内において、かつ、できる限り短い期間内において、定められなければならない。
中途解除・不更新の予告(16条1項)
特定業務委託事業者は、継続的業務委託に係る契約の解除(契約期間の満了後に更新しない場合を含む。…)をしようとする場合には、当該契約の相手方である特定受託事業者に対し、厚生労働省令で定めるところにより、少なくとも三十日前までに、その予告をしなければならない。
さらに同条2項で、予告された側は解除の理由の開示を請求できます。
つまり、独立側の守りは「30日ぶんの時間」と「理由を聞く権利」と「60日以内の入金」です。雇用の保護と比べれば薄い。**ただし空ではありません。**この差を正確に見ておかないと、必要以上に怖がることになります。
もうひとつ、民法の側にも効くものがあります。648条3項です。
受任者は、次に掲げる場合には、既にした履行の割合に応じて報酬を請求することができる。一 委任者の責めに帰することができない事由によって委任事務の履行をすることができなくなったとき。二 委任が履行の中途で終了したとき。
**途中で終わっても、やった分は請求できます。**独立コンサルの契約の多くは準委任です(民法656条が、法律行為でない事務の委託にこの節を準用しています)。したがって、月の途中で切られてもゼロにはなりません。詳しくは業務委託を途中で切られたらにまとめました。
比較表にすると、こうなります。
| 守るもの | 効き方 | |
|---|---|---|
| 事業会社 | 労働法制・雇用保険 | 強い。自動でつく |
| 独立 | フリーランス新法(30日前予告・理由開示・60日以内の支払)/民法648条3項 | 薄い。だが自分で使える |
**「自動でつく」か「自分で使う」か。**この差が、実感としての安定・不安定の正体だと私は思っています。
物差し4|次の1年に積み上がるもの
3年後、あなたは自分の経験をどう説明することになるか。ここだけは、年収では代替できません。
- 別のファーム:積み上がるのは「案件の型」と「役職の説明」。ただし前職と近い型が続くと、差分が薄くなる
- 事業会社:積み上がるのは「意思決定の当事者としての経験」。予算を持つ側、稟議を通す側、運用を回す側の視点は、コンサル側からは絶対に取れない
- 独立:積み上がるのは「値付けの実績」と「取引の履歴」。誰にいくらで何を売ったかが、そのまま次の単価の根拠になる
ここで正直に書きます。**事業会社の1年は、独立の1年より「説明しやすい」経験になることがあります。**とくに、コンサル側で提案までしかやったことがない人にとって、運用が回り始めた後の3年目・4年目を見る経験は、独立してからでは絶対に手に入りません。
私は独立を選びましたが、「事業会社を経由してから独立したほうが強い人」は確実にいると思っています。判断の分かれ目は、次の1問です。
いま自分が売れるものは、看板を外しても売れるか。
売れるなら、独立の1年は単価の実績に変わります。売れないなら、事業会社の1年で「当事者としての固有の経験」を作ったほうが、独立時の単価は高くなります。単価が何で決まるかは、フリーランスのコンサルタントは何で食べているかで分解しました。
3つを1枚に乗せる
ここまでを1枚にします。私が実際に書いたものと、ほぼ同じ形です。
| 項目 | 別のファーム | 事業会社 | 独立 |
|---|---|---|---|
| 手取り | 額面から自動計算 | 額面から自動計算 | 報酬−経費−社保−税。要試算 |
| 支払い側の総額 | 額面+社会保険の会社負担 | 同左 | 報酬+消費税 |
| 稼働の下限 | 所定労働時間 | 所定労働時間 | 契約した稼働 |
| 稼働の上限 | 案件次第 | 会社・職種次第 | 自分で決める |
| 切られたとき | 労働法制・雇用保険 | 同左 | 新法16条の30日前予告・理由開示/民法648条3項 |
| 積み上がるもの | 案件の型 | 当事者としての意思決定 | 値付けの実績・取引の履歴 |
| 次に戻れるか | 戻れる | 独立へは出やすい | 事業会社へは説明が要る |
最後の行だけ補足します。**独立から事業会社に戻れないわけではありません。**ただし「なぜ戻るのか」を面接で説明する必要は生じます。私の知る範囲では、これは思われているほど重い障害ではありません。障害になるのは、独立期間中に何を売ったかを自分で説明できない場合です。
つまり、戻れるかどうかを決めるのも、結局は物差し4です。
順番の話──先にどれを取るか
3択のうち2つは、順番に並べられます。
- 事業会社 → 独立:可能。当事者経験を持ち込める。ただし「コンサル的な提案の型」は鈍る
- 独立 → 事業会社:可能。ただし説明が要る
- ファーム → 独立:可能。私はこれ。案件の型は持ち込めるが、当事者経験はゼロから
「どれが正解か」ではなく、どれを先に取ると、次が取りやすいかで考えると決めやすくなります。そして、この順番の設計は辞めると決めた後では遅い部分があります。辞める前にしか取れないものについては、コンサルの独立は、何が揃えば踏み出せるのかに、期限のあるものを含めて全部並べました。
出る前に、必ずやっておくこと
どの選択肢を選ぶにしても、ファームを出る前にやっておくと後が楽になることが4つあります。
1. 自分が担当した案件を、金額と役割で書き出す。「PMOとして支援」ではなく、「◯◯億円規模の◯◯導入で、◯◯領域の要件定義から稼働後3か月まで」。この粒度で書けるかどうかが、独立後の単価の根拠になり、事業会社の面接では職務内容の一致を示す材料になります。
**2. 雇用契約書の競業避止と副業の条項を読む。**辞める前に読めば、範囲を避けた設計ができます。争うより避けるほうが早い。詳細は競業避止義務に書きました。
**3. 健康保険の任意継続の期限を知っておく。**資格喪失日から20日以内という期限があります。事業会社に転職するなら不要ですが、独立と迷っている段階なら、期限だけは先に知っておく必要があります。
**4. 個人で頼まれた仕事の数を数える。**看板なしで名指しで来た依頼が、直近3年で何件あったか。独立を検討するなら、この数が最初の1年の見通しに直結します。
まとめ
- ファームを出るときの選択肢は3つ。独立が並ばないのは適性の問題ではなく、求人票のような形で情報が届かない流通の問題。
- 比べる物差しは4本で足りる。手取り/稼働の下限/切られたときに何が守るか/積み上がるもの。年収・役職・知名度はこの下に置く。
- 額面の比較は無意味。会社は額面に社会保険料の会社負担を上乗せして払っており、独立の必要報酬額は会社員の額面より高くなるのが普通。
- 「独立は無防備」は不正確。フリーランス新法が取引条件の明示(3条)・受領日から60日以内の支払(4条)・継続的な契約の解除は30日前予告と理由開示(16条)を義務として固定した。民法648条3項で途中終了でも履行割合に応じた報酬を請求できる。
- 違いは保護の有無ではなく、「自動でつく」か「自分で使う」か。
- 事業会社の1年でしか取れないのは、予算・稟議・運用を持つ当事者としての経験。コンサル側からは取れない。
- 分かれ目の問いは1つ。看板を外しても売れるものが、いま手元にあるか。
3つを同じ表に乗せてみると、たいていの人は「思っていたのと順位が違った」と言います。私もそうでした。
**選択肢を減らして決めるのではなく、増やしてから決める。**ポストコンサルという言葉が2択を意味してしまっているのが、そもそもの問題だと思っています。
関連記事:フリーランスの手取り/コンサルの独立は何が揃えば踏み出せるのか/コンサルへの転職は独立の何年前にすべきか/フリーランスのコンサルタントは何で食べているか/業務委託を途中で切られたら/フリーランス新法とは/業務委託に有給はない/競業避止義務/コンサルの単価相場/「コンサル独立はやめとけ」は本当か/業務委託で働くと社会保険はどうなるか
参考:民法644条・648条3項・656条/特定受託事業者に係る取引の適正化等に関する法律(フリーランス新法)3条・4条・16条(いずれもe-Gov法令検索で条文原文を確認)/厚生年金保険料率18.3%(労使折半)
※本記事は条文と公表資料、および筆者自身の実務経験に基づく整理です。税額・保険料の計算および個別の契約の解釈は事情によって結論が変わるため、実際の判断は税理士・社会保険労務士・弁護士にご確認ください。