独立して数年、国民健康保険の通知を開いて固まった経験があるなら、この言葉はどこかで目にしているはずです。マイクロ法人。
やっていることは単純です。個人事業はそのまま続けながら、別に小さな法人をひとつ作る。法人から自分に役員報酬を少額だけ払う。それだけで、国民健康保険と国民年金から、健康保険と厚生年金に乗り換わる。
うまい話に見えます。実際、条件が合う人には効きます。ただし条件は思ったより狭い。何が起きているのかを、順番に見ていきます。
なぜ保険料が下がるのか
国民健康保険の保険料は、前年の所得に応じて決まります。所得が上がれば上がる。上限はありますが、その上限が高い。独立して収入が伸びた人が、いちばん最初に痛みを感じる場所です。
一方、健康保険と厚生年金の保険料は、標準報酬月額という区切りで決まります。給与の額を等級に当てはめて、その等級の保険料を払う。ここに下限があります。
厚生年金の標準報酬月額は、第1等級が88,000円(報酬月額88,000円以上93,000円未満)。この等級の保険料は保険料率18.3%で計算され、全額16,104円、労使折半で本人負担は8,052円です。マイクロ法人の場合、自分が事業主で自分が従業員なので、折半といっても結局どちらも自分の財布から出ますが、法人負担分は法人の経費になります。
つまり、法人から自分に払う役員報酬を月8万8千円前後に抑えると、厚生年金の負担は最低等級に張り付く。健康保険も同じ考え方で、標準報酬月額の低い等級に収まります。前年の所得に連動する国民健康保険と違い、事業がいくら儲かっていても、社会保険料は役員報酬の額でしか決まらない。これが仕組みの中身です。
(健康保険の保険料率は都道府県ごとに違い、毎年見直されます。金額を計算するときは、加入する健康保険の最新の保険料額表で確認してください。)
法人は、ひとりでも社会保険に入る
ここが土台です。
**株式会社などの法人の事業所は、事業主のみの場合を含めて、厚生年金保険の強制適用事業所になります。**従業員がいてもいなくても関係ありません。
対して個人事業所は、常時5人以上の従業員がいる場合に強制適用(一部の業種を除く。令和4年10月からは士業も追加)。ひとりで仕事をしている個人事業主は、そもそも入れません。だから国民健康保険と国民年金にいる。
**法人を作るというのは、この扉を開けるということです。**節税テクニックというより、制度の入口が変わるという話に近い。
では、なぜ「事業を2つに分ける」必要があるのか
ここが最大の誤解ポイントです。
もし個人事業をたたんで、全部を法人に移すなら、それは法人化です。マイクロ法人と呼ばれる設計は、そうではありません。個人事業を残したまま、別の事業を法人でやる。
なぜか。売上のほとんどを法人に入れてしまうと、その利益を自分に出す方法が役員報酬しかなくなります。役員報酬を上げれば社会保険料も上がる。上げなければ法人に利益が溜まり、そこに法人税がかかる。設計の意味が薄れます。
だから、主たる収入は個人事業で受け、社会保険の器としての法人には小さな事業だけを置く。この形が成立するには、法人でやる事業に実態が要ります。売上がゼロで、役員報酬だけが出ていく法人は、何のために存在するのかを説明できません。
そして、独立してコンサルティング1本でやっている人の多くは、ここで詰まります。分けられる事業が、そもそもない。
自分の稼働時間を売っている人にとって、事業を2つに割るというのは、稼働を2つに割るのとほぼ同義です。物販、教材、記事の販売、システムの保守——質の違う収入源を持っている人にしか、この設計は素直に成立しません。
増えるもの、減るもの
保険料が下がるという1点だけを見て決める話ではありません。反対側に並ぶものを書き出します。
増えるもの
- **法人住民税の均等割。**東京都主税局は「均等割は、決算の状況にかかわらず、資本金等の額及び従業者の数に応じて課税されます」と明記しています。赤字でも毎年かかる固定費です。金額は自治体・資本金等の額・従業者数で決まるので、設立予定の自治体の税率表で確認してください。
- **設立費用。**登記に費用がかかります。合同会社と株式会社で額が違います。
- **決算と申告の手間。**個人の確定申告とは別に、法人の決算・申告が要ります。実務上は税理士に頼むことになるので、顧問料が固定費として乗ります。税理士費用は、この設計の損益分岐を動かす最大の変数です。
- **社会保険の事務。**資格取得届、算定基礎届、給与の支払いと記録。ひとりでも会社は会社です。
- **やめるときのコスト。**法人は、作るより畳むほうが手間がかかります。
減るもの
- **将来の年金。**厚生年金は報酬に比例します。標準報酬月額を最低等級に張り付けるということは、その期間の年金額もそれに対応した水準になるということです。目先の保険料と引き換えに、老後の受取が減る。この一点は、iDeCoや小規模企業共済で自分で埋め合わせる前提で考えるべきものです。
変わるもの
- 法人の所得には法人税がかかります。資本金1億円以下の普通法人なら、年800万円以下の部分は15%、超える部分は23.20%(令和7年4月1日以後に開始する事業年度で、所得金額が年10億円を超える事業年度は年800万円以下の部分が17%)。個人の所得税は累進なので、どちらが有利かは所得水準で入れ替わります。
- 役員報酬は、定期同額給与などの要件を満たさないと損金になりません。期の途中で気軽に増減できる性質のお金ではない、ということです。
判断の順番
ここまでを踏まえると、順番はこうなります。
- **法人でやる事業が、実態として存在するか。**存在しないなら、ここで終わりです。「社会保険のためだけの法人」は、設計として弱いだけでなく、説明できません。
- **国民健康保険の年額を、いま実額で確認する。**通知書の数字です。ここが小さい人は、そもそも動かす価値がありません。
- **増える固定費を足す。**均等割+税理士顧問料+社会保険の実務コスト。ここが、下がる保険料を上回っていないか。
- **減る年金を、どう埋めるかを決める。**埋めない前提なら、それも選択です。ただし目をつぶって進むのとは違います。
- **税理士に、自分の数字を入れて計算してもらう。**この設計は、一般論では判断できません。国民健康保険料は自治体で違い、健康保険料率は都道府県で違い、年金の見込みは加入歴で違う。他人の試算は自分の答えになりません。
正直に書きます
独立してコンサルティングで生きている人に、私はこの設計をあまり勧めません。
理由は3つです。ひとつ、分けられる事業がない人が多いこと。ふたつ、増える固定費と手間が、本業の稼働時間を削ること。みっつ、社会保険料を下げる目的で作った法人は、事業として成長させる動機が薄いこと。
**節税のために作った器は、事業のために作った器より早く重くなります。**保険料を年間で何十万円か下げるために、毎年の決算と申告と社会保険事務を背負い、老後の年金を削る。その交換を、自分の商売の10年計画の中で説明できるかどうか。そこが判断の軸です。
逆に、性質の違う事業をすでに2つ持っていて、国民健康保険の負担が重く、法人の器を事業としても使うつもりがある人。この人にとっては、素直に強い設計です。
まとめ
- マイクロ法人と呼ばれる設計は、個人事業を残したまま別に小さな法人を持ち、法人から少額の役員報酬を取って社会保険に加入するという形。
- 法人の事業所は事業主のみでも厚生年金の強制適用事業所。個人事業所は常時5人以上(一部業種を除く)なので、ひとりの個人事業主は入れない。ここが入口の差。
- 厚生年金の標準報酬月額は第1等級88,000円が下限、保険料は率18.3%で全額16,104円・折半8,052円。前年所得に連動する国民健康保険と違い、役員報酬の額でしか決まらないのが効き所。
- 反対側に、法人住民税の均等割(赤字でも課税)・設立費用・決算申告と税理士顧問料・社会保険事務・廃業コストが乗る。
- **将来の厚生年金は報酬比例なので減る。**iDeCoや小規模企業共済で埋める前提かどうかを先に決める。
- 法人税は資本金1億円以下の普通法人で年800万円以下15%・超過分23.20%(令和7年4月1日以後開始事業年度で所得10億円超の年度は前者が17%)。役員報酬は定期同額給与などの要件を満たさないと損金にならない。
- **成立条件は「実態のある事業を2つ持てること」。**独立してコンサルティング1本の人には、たいてい成立しない。
保険料も税率も、自治体・都道府県・年度で変わります。この記事は仕組みの整理までです。実際に動かすかどうかは、自分の国民健康保険の通知書と、顧問の税理士の試算を並べてから決めてください。
参考:日本年金機構「厚生年金保険の適用事業所」「厚生年金保険料額表」/国税庁 タックスアンサー No.5759「法人税の税率」(令和7年4月1日現在法令等)/東京都主税局「法人事業税・法人都民税」