案件が決まった連絡は、たいてい急に来ます。
「ぜひお願いしたいです。とりあえず来週の月曜から入ってください。契約書は、法務の確認が済みしだい送ります」
うれしい連絡です。ただ、ここから数週間、単価も期間も範囲も、紙の上にはどこにも書かれていない状態で仕事が進みます。独立して間もない時期ほど、この状態で「書面をください」とは言い出しにくい。案件が流れるのが怖いからです。
先に結論を書きます。
書面が届くまでの間は、自分が書面を作る側に回る。
契約書を急かす必要はありません。代わりに、あとから誰が読んでも同じ事実が分かる記録を、自分の側で毎日残していく。先に動いた分の報酬を守るのは、相手の法務の速さではなく、この記録です。
この記事で扱わない範囲を、先に書いておきます。
- フリーランス新法の義務の全体像はフリーランス新法とは(受け取る側から)とフリーランス新法に、発注する側として合わせるとき(発注する側から)にあります
- 契約書が届いた後の、条項ごとの読み方は業務委託契約書に書かれていなければおかしい7項目の側です
- 独立直後の届出・口座・営業の順番は独立直後の3か月に、実際にやったことに分けました
この記事が扱うのは、その間です。決まった連絡から、書面が届くまでの空白。
落ち着いていい点:契約は、書面がなくても成立し得る
最初に、法律の側を短く確かめておきます。
民法522条は、契約は申込みに対して相手方が承諾をしたときに成立すると定め、2項で契約の成立には、法令に特別の定めがある場合を除き、書面の作成その他の方式を具備することを要しないとしています。
つまり、「来週から入ってください」「分かりました、お受けします」のやりとりの時点で、条件の中身しだいでは**契約はすでに成立していると考える余地があります。**書面が後から来るのは、契約の成立を後から記録する作業だ、という見方もできます。
ただし、ここに落とし穴があります。**成立していることと、成立していたと証明できることは別です。**口頭で決まった単価や開始日を、あとで相手と食い違ったときに示せるものが手元になければ、成立していたかどうかそのものが争点になります。
もう一つ、発注する側の義務もあります。フリーランス新法(特定受託事業者に係る取引の適正化等に関する法律)3条は、業務委託事業者が特定受託事業者に業務委託をした場合、直ちに、給付の内容・報酬の額・支払期日などを書面または電磁的方法で明示しなければならないと定めています。内容が決められないことに正当な理由がある事項は、決まった後直ちに明示すればよい、というただし書きもあります。
ここで気をつけたいのは、「直ちに」明示が要るのは契約書そのものではなく、取引の条件だという点です。明示はメールでも足ります。契約書の法務確認が長引いていても、条件の明示まで待たせてよいことにはならない、というのが条文の組み立てです。ただし、自分の取引がこの法律の対象になるかどうかは、自分の側の形(従業員を使っていない個人か、一人法人か)と取引の中身で変わります。対象かどうかの見方はフリーランス新法とはに書きました。
先に動いた分で揉めるのは、4つの場面
書面のないまま稼働が進んだとき、あとから揉めるのは、だいたい次の4つの場面です。
| 場面 | 何が起きるか | 効く記録 |
|---|---|---|
| 契約書の開始日が、実際の稼働開始より後になっている | 届いた契約書が「翌月1日から」。最初の2週間が契約の外になる | 稼働を始めた日が分かる記録 |
| 口頭の条件と、書面の条件が違う | 単価、精算幅、稼働日数のどれかが、聞いていた数字と違う | 決まった直後の条件の確認メール |
| 範囲が口頭より広く、または狭く書かれている | 実際にやっている仕事が、書面の業務内容に入っていない | 指示を受けた日付と中身の記録 |
| 書面が届く前に、案件が止まる | 予算や体制の都合で「今回は見送りに」。先に動いた分をどうするかが宙に浮く | 上の3つ全部 |
4つとも、**相手に悪意がなくても起きます。**開始日のずれは、法務が月単位で契約を切っているだけ、ということもあります。条件の違いは、口頭で話した人と契約書を作る人が別の部署だから、ということもあります。
だから、ここで必要なのは相手を疑うことではなく、食い違ったときに、同じ事実を指せる記録を先に持っておくことです。
最初の1週間で、自分の側に残す5つ
ここが、この記事でいちばん実務的な部分です。順番に意味があります。
1. 条件の確認メールを、決まった当日か翌日に送る
最初にやるのは、口頭で決まった条件を、確認の形でメールにすることです。
本日はありがとうございました。念のため、本日伺った条件を整理してお送りします。 ・稼働開始日:〇月〇日(月) ・稼働:週〇日(〇曜日は終日、ほかはリモート) ・業務の範囲:〇〇の要件整理と、〇〇の設計レビュー ・報酬:月額〇〇円(税別)、精算幅〇〜〇時間 ・期間:〇月末まで(以降は双方で相談) 契約書は法務のご確認後にお送りいただけると伺っています。認識の違う点があれば、ご指摘ください。
大事なのは、要求ではなく確認の形にすることです。「書面をください」ではなく「こう理解しています、違っていたら教えてください」。相手にとっても、契約書を作る部署へそのまま転送できる材料になるので、嫌がられることはまずありません。
返信が「承知しました」の一言でも、日付の入った、相手の承知の記録になります。返信がなければ、それも記録です。条件の中身として何を並べるべきかは、上の表の「効く記録」と、業務委託契約書に書かれていなければおかしい7項目の項目が目安になります。
2. 稼働の記録を、初日から日次でつける
2つ目は、何日に、何時間、何をしたかを初日から残すことです。月末にまとめて書くのではなく、その日のうちに書きます。
書き方は凝らなくて構いません。日付、開始と終了の時刻、やったことを1〜2行。精算幅のある月額契約でも、時間で精算する契約でも、最初の月の稼働は、契約書の開始日が確定するまで宙に浮いているので、この記録がそのまま請求の根拠になります。
3. 指示を受けたら、その日のうちに文字にする
3つ目は、誰から、何を頼まれたかの記録です。会議で口頭の指示を受けたら、会議の後に短い議事メモを送ります。
本日の打ち合わせの内容を共有します。〇〇について、〇日までに〇〇の案をお出しします。
これは範囲の食い違いに効きます。書面の業務内容に入っていない仕事を頼まれていたとき、頼まれた日付と頼んだ人が残っていれば、それは「勝手にやった仕事」ではなくなります。
4. 貸与物とアカウントの受け取りを、残しておく
4つ目は見落とされやすい記録です。PC、入館証、社内システムのアカウント、チャットへの招待。これらを受け取った日は、相手が稼働の開始を認めていた客観的な記録になります。
受け取ったときのメールや招待の通知は、消さずに1つのフォルダにまとめておきます。自分で書いた記録と違って、相手の側の仕組みが出した記録なので、開始日の食い違いには特に効きます。
5. 出したものには、日付を入れる
5つ目は、成果物の側です。資料、メモ、レビューのコメント。出したものには日付を入れ、送ったメールを残す。
最初の数週間の成果物は、あとで「その時期に確かに仕事をしていた」ことを示す、いちばん分かりやすい証拠になります。
契約書が届いたら、最初に見る3か所
待っていた契約書が届いたら、全文を読む前に、まず次の3か所を見ます。
| 見る場所 | 確かめること | 違っていたら |
|---|---|---|
| 契約期間の開始日 | 実際に稼働を始めた日と同じか。後ろになっていないか | 開始日を実際の稼働日に合わせてもらう。無理なら、それまでの分の扱いを別に書いてもらう |
| 報酬の条件 | 単価・精算幅・支払期日が、1で送った確認メールと同じか | 確認メールを添えて、どちらが正しいかを聞く |
| 業務の範囲 | 3で記録した、実際に頼まれている仕事が入っているか | 範囲の文言を足してもらう。足せないなら、入っていない仕事の扱いを決める |
いちばん多いのは、1行目の開始日のずれだと私は見ています。月の途中から稼働が始まったのに、契約書は翌月1日から、という形です。このときの言い方はこうです。
契約期間の開始日が〇月1日となっていますが、稼働は〇月〇日から始めております。開始日を実際の稼働日に合わせていただくか、それまでの期間の扱いを契約書に加えていただけますか。
**責める必要はありません。**法務は、現場でいつ稼働が始まったかを知らないことが多いからです。知らせれば直る話として出してください。報酬がいつから発生するかの読み方は、準委任と請負の違いの「条項2|報酬」の章に書きました。
契約前に、案件が流れたとき
いちばん苦しいのは、書面が届く前に「今回は見送りになりました」と言われる場合です。
ここで考えることは2つです。
1つ目は、契約が成立していたと言えるかです。上に書いたとおり、契約は書面がなくても成立し得ます。条件の確認メールに相手が承知を返していて、稼働の開始を相手が認めていた記録(アカウントの発行、会議への招待)があれば、成立していたと考える材料になります。
2つ目は、成立していたとして、何を請求できるかです。コンサルの業務委託の多くは準委任の形をとりますが、民法648条3項は、委任が履行の中途で終了したときなどに、受任者は既にした履行の割合に応じて報酬を請求することができると定めています。ただし、これは契約の中身や、終わり方の事情によって当てはまり方が変わります。ここを自分で断定せず、記録をそろえたうえで専門家に相談するのが順番です。
私が勧めるのは、まず記録を添えて、先に動いた分の扱いを相手に相談することです。
〇月〇日から〇日まで、〇〇の作業を進めておりました(稼働記録と成果物をお送りします)。この期間の扱いについて、ご相談させてください。
多くの場合、相手の側も、現場で稼働していた事実を知っています。**記録があれば、話は「払うかどうか」ではなく「どう処理するか」から始まります。**記録がなければ、「そもそも稼働していたのか」から始まります。この差が、1週目の5つの記録の価値です。
書面を、いつまで待つか
最後に、時間の置き方です。書面をいつまで待つかに、法律で決まった日数はありません。以下は、私が置いている目安です。
| 時期 | やること |
|---|---|
| 決まった当日〜翌日 | 条件の確認メールを送る(上の1) |
| 1週目 | 5つの記録を始める。書面の催促はしない |
| 2週目 | 書面の送付予定日を、一度だけ聞く |
| 最初の請求の締めの前 | 書面が無ければ、請求の方法(確認メールの条件で請求してよいか)を先に確認する |
| 2か月目に入っても書面が無い | 稼働を続けるかどうかを、自分で判断する時期に入る |
2週目に聞くときは、急かす言い方にしません。
契約書の件、法務のご確認はいつ頃になりそうでしょうか。月末の請求の準備をしておきたく、目安だけ伺えれば助かります。
請求の準備という、相手にも関係のある理由を添えると、催促ではなく段取りの確認になります。
間に会社が入っているときは、書面の相手を確かめる
案件が、現場の会社と自分の間に別の会社を挟んでいる場合は、もう一つ確かめることがあります。
**自分の契約の相手は、現場の会社ではなく、間の会社です。**現場で「来週から」と言われても、自分に書面を出すのは間の会社で、現場の会社とその会社の間の契約とは別の手続きで動きます。現場と間の会社で、開始日や範囲の認識がずれることもあります。
だから、条件の確認メールは自分の契約の相手に送ります。現場の担当者の了解だけを記録しても、自分の報酬を払う相手の記録にはなりません。間に会社が入る取引で、払われる額と受け取る額がどう分かれるかは発注側が払う金額と、自分が受け取る金額の差に書きました。
やってはいけない3つ
1. 口頭のまま、2か月目に入る
最初の数週間は、書面が遅れるのも珍しくありません。ただ、2か月目に入っても条件がどこにも書かれていない状態は、相手が悪くなくても、自分の側で止めて考える時期です。記録がどれだけそろっていても、書面の代わりにはなりません。
2. 開始日のずれた契約書に、黙って押印する
「細かいことを言って心証を悪くしたくない」と、翌月1日開始の契約書にそのまま押印する。**押印した時点で、最初の数週間は契約の外にあったことに、自分も同意した形になります。**上に書いた一文で、直してもらってください。
3. 書面が無いことを、相手を責める形で持ち出す
「新法で明示が義務になっているはずですが」と、最初から法律を前に出す。条文としては正しくても、**まだ関係が始まったばかりの相手に、最初に見せる顔として重すぎます。**まずは確認メールと、段取りとしての確認。法律の話は、それでも動かないときの次の段階です。
まとめ
- 書面が届くまでの間は、自分が書面を作る側に回る
- 契約は、法令に特別の定めがある場合を除き、書面がなくても成立し得る(民法522条2項)。ただし、成立していたと証明できるかは別
- フリーランス新法3条は、対象になる取引で、発注側に取引の条件を直ちに明示することを求めている。明示はメールでも足りる
- 揉めやすいのは、開始日のずれ・条件の食い違い・範囲の食い違い・書面前の中止の4つ
- 最初の1週間で残すのは、(1)条件の確認メール (2)日次の稼働記録 (3)指示の文字化 (4)貸与物とアカウントの受け取り (5)日付入りの成果物
- 契約書が届いたら、開始日・報酬の条件・業務の範囲の3か所を先に見る。開始日のずれは、知らせれば直る話として出す
- 書面前に案件が流れたら、記録を添えて、先に動いた分の扱いを相談する。請求できるかどうかは自分で断定せず、専門家に確かめる
- 間に会社が入るときは、確認メールを自分の契約の相手に送る
書面の無い空白は、独立していれば何度も通ります。怖いのは空白そのものではなく、空白の間に何も残っていないことです。
いまの取引の書面と記録が足りているかを一度整理しておきたい方は、30秒の独立準備度チェックから入ってみてください。登録は要りません。
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出典:民法522条(契約の成立と方式)・648条(受任者の報酬)、特定受託事業者に係る取引の適正化等に関する法律(フリーランス新法)2条(定義)・3条(給付の内容その他の事項の明示等)は、e-Gov法令検索の原文(2026-09-18取得)で確認しました。揉めやすい4つの場面、最初の1週間の5つの記録、書面を待つ期間の目安は、筆者が独立後に業務委託で受ける側として見てきたことにもとづく整理で、人数を数えた統計ではなく、特定の発注元の事例を示すものでもありません。狙いの検索語の親にあたる「フリー コンサル 案件」の検索需要は、Google キーワードプランナーの実測(2026-08-10取得)で月間100〜1000の範囲です。当社の広告アカウントは検索広告を停止しており、実数ではなく範囲しか取得できません。この記事の角度(契約書の前に始まった稼働)単独の検索需要は取得していません。
※本記事は条文と筆者の実務経験にもとづく一般的な整理です。契約が成立していたか、どこまで報酬を請求できるかは、やりとりの中身と個別の事情で判断が変わります。判断に迷う場合は、弁護士などの専門家や、フリーランス・トラブル110番などの公的な相談窓口にご確認ください。