「このまま経理を続けていて、自分の市場価値は上がっていくんだろうか」——そう検索窓に打ち込んだ夜が、たぶんあったんだと思います。月次の締めを回し、監査の質問に答え、仕訳を切る。仕事はできる。でも、会社の外に一歩出た瞬間、自分の値段がいくらになるのかが、まるで見えない。30代に差しかかると、その不安は急に重くなります。私はSAP(企業の会計・購買・在庫・人事などを一本につないで動かす業務システム。ERPと呼ばれます)のなかでも財務会計(FI=会社のお金そのものを扱う中核の領域)の導入を専門に、長く現場にいます。その立場から正直に言うと、経理の経験は「稼げる専門性」へ化ける素材として、かなり良い部類です。ただし、経理ができるだけでは足りない。この記事では、経理出身者がSAPコンサルへ転身するとき、何が武器になり、何が壁になるのかを、きれいごと抜きで書きます。
なぜ経理出身者はSAPコンサルに向いているのか
SAPコンサルというと、プログラムを書く人だと思われがちです。でも、それは誤解です。SAPを入れる仕事の本質は、コードを書くことではなく、「業務を理解して、それをシステムの言葉に翻訳する」ことにあります。プログラマーとは、ここが決定的に違う。そして翻訳のもとになる「業務」のなかでも、会社の数字の根っこにあるのが財務会計です。ここを肌で知っている人が、この業界には実はいちばん少ない。だから希少なんです。
現場で何が起きるか、具体的に書きます。SAPのFIを設計していると、必ず出てくるのが「この取引はどの勘定科目に落ちるのか」「未払いをいつのタイミングで計上するのか」「決算で外貨をどう評価替えするのか」といった会話です。これは会計の言葉です。会計を経験していない若いエンジニアは、ここで詰まる。設定はできても、その仕訳が決算書のうえでどう見えるかが想像できないからです。一方、月次を自分の手で締めてきた人は、打ち合わせの最中に「いや、それだと貸借(資産と負債のバランス)が合わなくなりますよ」と直感で気づける。この直感は、教科書では買えません。あなたが当たり前にやってきたことが、現場では当たり前じゃないんです。
もう一つ、経理出身者が強いのは、相手の痛みが想像できることです。SAP導入の現場では、必ずユーザー部門である経理の人たちが「今までのやり方が変わる」ことに身構えます。締め日が前倒しになる、入力する項目が増える、慣れたExcelの集計が使えなくなる。会議室では誰も言わないけれど、廊下や給湯室では「正直、前のほうが楽だった」という声が必ず出る。その不安や愚痴の中身が、経理を通ってきた人にはリアルに想像できます。だから設計が地に足のついたものになるし、何より相手に信頼してもらえる。コンサルとして現場に入ったとき、「この人はこっちの事情をわかっている」と思ってもらえるかどうかは、想像以上に大きな差になります。
経理の知識が「そのまま」武器になる場面
抽象論だと響かないので、もう少し踏み込みます。経理であなたが日々触れている知識のうち、SAPのFIでそのまま活きるものを、具体的に挙げます。
まず、勘定科目と仕訳のロジックです。SAPの中心には総勘定元帳(すべての取引を集約する、いちばん大きな帳簿)があり、ここに正しく数字が流れるよう道筋を作るのが、仕事の核になります。借方と貸方が何を意味するか、収益や費用をどのタイミングで認識するか——この感覚を持っている人は、設計の議論に最初から対等に参加できます。次に、決算の流れです。月次・四半期・年次の締めで何が必要か、引当金(将来の支払いに備えてあらかじめ計上しておくお金)や減価償却(固定資産の価値を毎年少しずつ費用にしていく処理)がどう動くか。これを体でわかっているだけで、「このシステムでちゃんと決算が回るのか」を検証する役割を担えます。これは導入プロジェクトでいちばん感謝される仕事の一つです。
さらに、消費税やインボイス(消費税の適格請求書。仕入れ側が税額控除を受けるために要る正式な請求書)の扱い、売掛・買掛の管理、固定資産の登録と除却(使わなくなった資産を帳簿から外す処理)——こうした実務の作法には、すべてSAPの中に対応する仕組みがあります。経理でこれらを処理してきた人は、「業務でこう動くものが、システムではこう表現される」という対応関係を、ゼロから学ぶ人よりずっと速く吸収できます。私が一緒に働いてきたなかでも、経理出身でSAPに入った人は、設計の段階に馴染むのが明らかに早かった。素地があるからです。
ただ、ここで誤解してほしくないのは、「経理ができれば自動的にコンサルになれる」わけではない、ということです。会計の知識は土台です。土台があるからこそ、その上に積む新しいもの——SAPという製品そのものの細かい設定、プロジェクトの進め方、設計書の書き方、英語まじりの資料を読む力——が早く積み上がる。土台がある人とない人とでは、同じだけ頑張っても、たどり着く場所が変わってきます。そこが、経理出身者の本当のアドバンテージです。
30代・未経験から始める現実の道のり
では実際、どう転身していくのか。きれいな成功談ではなく、現実の道のりを書きます。
最初の入り口は、いきなり独立ではありません。多くの場合、SAPを扱うコンサルティング会社か、事業会社の情報システム部門に、未経験の枠で入るところから始まります。30代だと「未経験で雇ってもらえるのか」と不安になると思いますが、財務会計の実務経験がある人は、まったくの異業種からの未経験とは扱いが違います。会計がわかる人材は、この業界では慢性的に足りていません。だから入り口はゼロじゃない。ただし、最初は給与が下がる可能性は、正直あります。前職の経理の水準にもよりますが、「専門性を取りにいくための助走期間」と割り切る覚悟は要ります。ここを見ないふりをすると、あとでつらくなります。
入った後の最初の一、二年は、しんどいです。これは正直に言っておきます。会計はわかっても、SAPという製品そのものは未知の世界です。膨大な設定項目、独特の用語、英語まじりのマニュアル。最初は「自分は本当にできるようになるのか」と、何度も思うはずです。私が見てきた限り、ここで折れずに、わからないことを一つずつ潰していった人が伸びました。会計という共通言語をすでに持っているぶん、製品の知識さえ追いつけば、ある時期から一気に戦力になる。逆に言えば、その製品知識を埋めるまでの踏ん張りが、分かれ目です。
単価の話も、煽らずに書きます。SAP未経験で入った段階では、目安として月60〜75万円あたりからのスタートになることが多いです(あくまで目安で、案件や立場、地域によって変わります。保証するものではありません)。そこから経験を積み、設計を任され、やがてプロジェクト全体を見る側や、独立した専門家になっていくと、レンジは上がっていきます。PMO(プロジェクト全体の進行を管理する役割)級になれば月250〜300万円といった水準も現実に存在しますが、これは何年もかけてたどり着く地点であって、転身してすぐの話ではありません。ここを混同して期待値だけ上げると、最初の助走期間で心が折れます。地味に積む時期が必ずある、と最初に知っておいてください。SAPの全体像と独立までの順番は未経験からSAPコンサルになるにはで詳しく書いているので、あわせて読んでみてください。
転身でつまずきやすいポイントと、その越え方
良いことばかり書いても役に立たないので、つまずきやすい点も正直に共有します。
一つ目は、「経理のプライド」が邪魔をすることです。経理として一人前だった人ほど、SAPの世界で最初に「わからない側」に回ったときの落差がきつい。これまで部署で頼られてきたのに、急に新人扱いされる。質問するのも気が引ける。ここで「自分は会計はわかっているのに」と過去の実績にしがみつくと、新しい知識が入ってこなくなります。会計の経験は土台として誇りつつ、製品については素直に一年生に戻れる人が、結局いちばん早く伸びる。プライドの置き場所を間違えないこと。これは技術以前の話です。
二つ目は、業務とシステムの「翻訳」が、思ったより難しいことです。経理では「こうすればいい」と感覚でやっていたことを、SAPでは設定として一つひとつ言葉にし、例外のケースまで筋を通さないといけません。「ふだんはこうだけど、年に何回かこういうケースもある」——その「年に何回か」をどう設計に落とすかで、いちばん悩みます。ここは経験を重ねて慣れていく部分です。最初から完璧を目指さず、わからないところは先輩に聞き、議事録を読み返し、一つずつ自分の引き出しを増やしていく。地道ですが、近道はありません。
三つ目は、独立を急ぎすぎることです。会計という武器があるぶん、「早く独立して単価を上げたい」と焦る人がいます。気持ちはよくわかります。でも、製品の知識と現場の経験が薄いまま独立すると、最初の案件で評価を落とし、かえって遠回りになる。私は、まず雇われの立場で、きちんと設計を任されるところまで力をつけてから独立を考えることをすすめます。独立そのものの進め方についてはコンサルの独立準備は何からも参考になるはずです。経理のフリーランスという道と迷っている人もいると思いますが、そちらは経理のフリーランスで食べていけるのかで別に整理しています。
「稼げる専門性」とは、結局どういうことか
最後に、そもそも「稼げる専門性」とは何なのかを、私なりに言い切っておきます。
専門性が稼ぐ力に変わるのは、「その人にしか埋められない隙間」を持っているときです。経理ができる人は、たくさんいます。SAPを設定できるエンジニアもいます。でも、会計の実務を肌で知っていて、かつSAPのFIを設計できる人は、驚くほど少ない。あなたが目指しているのは、この二つが交わる場所です。片方だけの人がたくさんいるなかで、両方を持つ人は希少になる。希少だから、値段が上がる。これが「稼げる専門性」の正体です。難しい資格を取ることでも、流行りの技術を追いかけることでもありません。すでに持っている武器(会計)に、もう一本の軸(SAP)を掛け合わせる。それだけです。
そして、この掛け算は、30代からでも十分に間に合います。むしろ、経理として数字の実務をある程度こなしてきた30代は、いい出発点に立っています。20代前半で何も持たずに入る人より、土台がしっかりしている。その土台の価値を、自分で安く見積もらないでください。「未経験だから」と引け目を感じる必要はありません。あなたが持っている会計の経験は、この業界が喉から手が出るほど欲しいものなんです。
正直に言えば、楽な道ではありません。助走期間の給与の谷も、製品知識を埋めるまでの踏ん張りも、プライドを置き直す痛みもあります。でも、その先には「自分の値段が、会社の外でも通用する」という、経理の中だけにいては手に入らなかった景色があります。検索窓に不安を打ち込んだあの夜の自分に、もし一言だけかけられるなら——「持っているものを、安売りするな」。それが、同じ道を通ってきた私からの、いちばんの本音です。