「独立に必要な貯金はいくらか」。独立を決める前、私はこの問いを何十回も検索しました。半年ぶん、一年ぶん、いろんな数字が出てくるけれど、どれも自分の生活には当てはまらない気がして、結局いつまでも「まだ足りない」と思い続けていた。この記事は、必要な貯金の正解額を当てる話ではありません。金額を一つの数字で考えるのをやめて、三つの線で見ると迷いが消える、という考え方を渡します。貯金が足りない気がして踏み出せない人にこそ読んでほしい。
「いくら貯めれば安心か」には、正解の一円が存在しない
先に身も蓋もないことを言うと、「独立にはいくら必要か」という問いに、万人共通の正解額はありません。毎月の生活費が違い、家族構成が違い、独立してすぐ売上が立つ人もいれば半年かかる人もいる。だから他人の「◯ヶ月分あれば大丈夫」という数字は、参考にはなっても、あなたの安心にはならない。
私が長いあいだ踏み出せなかったのは、この「正解の一円」を探し続けていたからでした。あといくら貯まれば安心なのかを数字で確定させようとして、いつまでも確定しない。貯金は、金額を一点で決めるものではなく、役割ごとに線を引くものです。役割で分けると、「いくらあれば動けるか」が急に見えてきます。次から、私が今なら必ず引く三つの線を順に渡します。独立の準備そのものの手順はコンサルの独立準備は何から始めるかにまとめています。
一本目:生活防衛の線(これは絶対に触らない)
一本目は、生活防衛の線です。これは事業の元手ではなく、何があっても生活を止めないためのお金。病気になっても、案件が全部飛んでも、この線があるうちは日々の暮らしは続けられる、という土台です。
目安は、毎月の生活費の数ヶ月分。ここで大事なのは金額よりも、このお金を事業の資金と絶対に混ぜないことです。独立すると、目の前のチャンスに「今ここでお金を使えば伸びる」という誘惑が必ず来る。そのときに生活防衛の線まで手を出すと、一度の判断ミスで生活ごと崩れます。私はこの線を別の口座に分けて、事業がどれだけ苦しくても触らないと決めています。会社員のときは天引きと固定給に守られて意識しなかったこの感覚が、独立すると急に生々しくなる。
生活防衛の線は「事業がゼロになっても暮らしは続く」ためのお金。事業資金とは口座ごと分けて、絶対に触らない。
二本目:独立準備の線(売上ゼロの期間を買う)
二本目は、独立準備の線。独立してから最初の売上が入るまで、そして事業が軌道に乗るまでの、収入が不安定な期間を食いつなぐためのお金です。私はこれを「売上ゼロの月を何ヶ月ぶん買えるか」というふうに考えています。
ここで多くの人が見落とすのが、独立すると会社員のときになかった負担が全部こちら持ちになることです。国民健康保険、国民年金、そして前年の所得にかかる税金は、売上が落ちても容赦なく来る。特に独立一年目は、会社員時代の高い所得を基準にした請求が後からやってくるので、手元が想像以上に薄くなります。だから独立準備の線は、生活費だけでなく、この公的な負担ぶんも上乗せして見ておく。ここを甘く見ると、事業は順調なのに現金が尽きる、という一番もったいない詰み方をします。税金や保険料の具体的な金額は人により大きく変わり制度も更新されるので、最新は自治体の窓口か税理士で確認してください。
準備の線を「何ヶ月分」で持てているかは、独立後の値付けの強さにも直結します。手元に余白があると、安い依頼に飛びつかずに済む。この関係は独立コンサルの単価の決め方にも書きました。
三本目:攻めの線(あってもいいが、なくてもいい)
三本目は、攻めの線。事業を伸ばすために使えるお金です。道具を揃える、学び直す、外注する、といった前向きな投資に回す枠。
ただ、私が正直に言いたいのは、この三本目は、独立の入り口では無理に用意しなくていいということです。攻めの線がないと独立できないと思い込むと、いつまでも踏み出せない。一本目と二本目、つまり生活防衛と独立準備の線がきちんと引けているなら、攻めの資金は独立してから稼ぎながら作っていける。むしろ独立初期の投資は、大きな元手より、既にある人脈や実績を動かすほうがよほど効きます。お金をかけずに最初の案件をどう作るかはコンサルの独立の始め方に書いたので、あわせて読んでみてください。
大きな元手がないと始められない、というのは、たいてい思い込みです。必要なのは、攻めの潤沢さではなく、守りの確かさ。守りが固まっていれば、攻めは走りながら整えられます。
三つの線を、実際に数字を動かして見せる
言葉だけだと頭が動かないので、型に数字を入れてみます。あくまで考え方を見せるための例で、金額は人によってまったく変わりますし、保証もしません。
仮に、毎月の生活費を一つ置きます。生活防衛の線は、その生活費の数ヶ月分。ここはできれば別口座に隔離して、残高を普段は見ないようにしておく。次に独立準備の線は、「売上ゼロの月を何ヶ月ぶん食いつなぐか」で考えます。ここに、独立初年度にやってくる国民健康保険・国民年金・前年所得ベースの税金といった、会社員のときは天引きで見えなかった負担を上乗せする。この上乗せを忘れると、生活費だけで計算した準備の線は、実際には想定より早く尽きます。
大事なのは、出てきた金額そのものより、「今の貯金は、この二本の線に対して何割まで来ているか」を割合で見られるようになることです。二本の線が合計いくらで、手元がその何割か。これが見えると、「あと何割で動ける」という具体的な目標に変わる。私が踏み出せなかった頃は、この割合を一度も計算していませんでした。だから、貯金がいくら増えても「まだ足りない気がする」から抜け出せなかった。数字を割合で見た瞬間に、不安は初めて距離に変わります。
金額を一点で見ると際限なく不安になる。「二本の線に対して何割まで来たか」で見ると、あと少しで動けることが見えてくる。
まだ線に届かないときの、現実的な二つの道
計算してみて、まだ二本の線に届いていない。そのときに取れる道は、無理に貯まるのを待つことだけではありません。
一つは、在職中に準備を前倒しすること。独立してから準備するより、会社員の給料が入っているうちに、小さく試したり、つながりを作ったりしておくほうが、はるかに安全です。副業として最初の一歩を踏んでおけば、独立後の「売上ゼロの月」そのものを短くできる。準備の線を厚くするのと、ゼロの期間を縮めるのは、同じだけの効果があります。
もう一つは、独立の入り方を、いきなり全部辞める形にしないこと。最初の案件のめどを立ててから会社を出る、あるいは稼働を絞って始める。攻めの資金がなくても、守りの線さえ引けていれば、走りながら整える形で独立はできます。お金が貯まりきるのを待ち続けて機を逃すより、線を引いて、届く道を設計するほうが、たいてい前に進みます。
「足りない」の正体は、金額ではなく線がないこと
三つの線で考えると、面白いことに気づきます。ずっと感じていた「まだ足りない」という不安の正体は、金額が足りないことではなく、どこまで貯めれば動けるのかの線を、自分で一度も引いていなかったことだったんです。線がないから、いくら貯めても際限なく不安なままだった。
今日やってほしいのは、大きな計算ではありません。生活防衛の線を一本、独立準備の線を一本、紙に金額で書いてみる。それだけで、「あといくらで動けるのか」が初めて数字になります。攻めの線は、いったん空欄でいい。二本の線が見えた瞬間に、独立は「いつか十分に貯まったら」という遠い話から、「この線に届いたら動く」という具体的な目標に変わります。私が長く踏み出せなかったのは、お金が足りなかったからではなく、この二本を引いていなかったからでした。線を引けば、足りているのか足りていないのかが、初めて自分で判断できるようになります。