「簿記2級を取ったので、そろそろ独立できますか」
この質問は、年に何度も受けます。1級を取ってから聞いてくる方もいます。真剣に勉強してきた人ほど、この問いを持って相談に来ます。
先に答えを書きます。簿記の資格そのものには、値段がつきません。
これは資格を否定する話ではありません。私自身、経理・財務の現場から入って、SAPという会計システムの導入をプロジェクトマネージャーとしてやってきました。簿記の知識が無ければ、あの仕事は一日も務まりませんでした。それでも、独立してから請求書の根拠に書けたのは「簿記1級を持っています」ではありませんでした。
資格に値段がつかない理由
外の会社があなたにお金を払うのは、その会社がいま困っていることを、外から入って動かせるからです。
簿記が証明しているのは、そこではありません。簿記が証明しているのは「与えられた取引を、決められたルールどおりに処理できる」ことです。言い換えると、間違えないことの証明です。
間違えないことは、外に出た瞬間に「前提」になります。前提は評価されません。誰も「間違えない人だから高く払います」とは言いません。間違えるのは論外だからです。
資格が効くのは「この人は下限を割らない」という安心を与えるところまで。上限を決めるのは、資格ではなく決めた経験です。
もう一つあります。簿記の知識は、自社の中で完結する形で身についていることが多い、という点です。自分の会社の科目の使い方、自社の締めのスケジュール、自社の稟議の通し方。これらは社内では価値のかたまりですが、会社を出ると一度ゼロになります。
発注側が資格欄を見る瞬間・見ない瞬間
実際に人を受け入れる側に回ってみると、資格欄の扱いははっきり分かれます。
見る瞬間
- 経理の実務経験が3年未満で、他に判断材料が無いとき
- 未経験から会計まわりに入ろうとしているとき(簿記2級は「本気で勉強した証拠」として効きます)
- 経理代行や記帳の仕事で、依頼する側が会計の素人のとき(発注側の安心材料になります)
ほとんど見ない瞬間
- 実務経験が5年以上あるとき(そこから先は経験の中身しか見ません)
- コンサル案件やプロジェクト側の仕事のとき(資格より、どのプロジェクトで何を決めたかを聞きます)
- 単価を決める場面(資格が理由で単価が上がった例を、私は見たことがありません)
つまり簿記は、入口を開ける鍵にはなるが、その先の値段は決めないということです。資格に効果が無いのではなく、効く場所が入口に限られています。関連する整理は経理に資格はいるのかにも書きました。
止まる人と越える人の差は、1本の線で引ける
簿記から先に進めた人と、資格を積んだまま止まった人。両者を並べると、線は1本しか引けませんでした。
自分の会社の数字だけを触ってきたか。他人の会社の数字を、期日までに締めたことがあるか。
自社の数字は、勝手が分かっています。誰に聞けばいいかも分かる。詰まったら助けてくれる先輩もいます。でも他人の会社に入ると、その全部がありません。勘定科目の使い方が違い、証憑の出方が違い、そもそも数字が揃わない状態から始まります。
外の会社が買っているのは、この状況で締め切りまでに着地させる力です。簿記はその土台にはなりますが、土台だけでは売り物になりません。
次に足す一つ
だから、簿記の次に足すものは1つだけです。
自分の会社以外の数字を、期日を持って締めた経験。
これは独立してからでないと作れない、というものではありません。会社にいるうちに作れます。
- 子会社・関連会社の月次を巻き取る(規模が小さいほど、手触りが濃く残ります)
- 買収した会社や新拠点の経理を、ゼロから立ち上げる側に手を挙げる
- 会計システムの入替に、業務側の担当として入る(経理からSAPへの転身はこの延長です)
- 顧問税理士や監査法人と、論点を自分で詰め切る役を取る
どれも「他人のルールの中で、期日までに決着させた」経験になります。これが1件でもあると、書けるものが変わります。簿記1級を1年かけて取るより、この1件のほうが早く値段に変わります。
もし今の会社にその機会が無いなら、それも情報です。そのまま10年いても、増えるのは資格欄だけになります。
3級・2級・1級の、現実的な使いどころ
- 3級:経理に配属される・転職する入口としては機能します。独立の材料にはなりません
- 2級:未経験から経理・会計まわりに入るときの標準装備です。ここを持たずに未経験で入ろうとすると、書類で落ちる確率が上がります。ただし2級を持っている人は大量にいるので、差ではなく足切り回避と考えるのが正確です
- 1級:知識としては強く、税理士試験や会計専門職への足場になります。一方で、独立コンサルや経理代行の現場で1級と2級の単価差を見たことはありません。1級を取る時間を実務の1件に振り替えたほうが、独立には近いというのが私の実感です
これは1級に価値が無いという話ではなく、独立という目的に対しての費用対効果の話です。会計事務所や税理士の道を選ぶなら、評価はまったく変わります。
簿記から独立する形は、3つある
「簿記で独立」と一言でいっても、行き先は分かれます。必要な準備も、最初に来る仕事も違います。
- 経理の実務そのものを外から引き受ける(経理代行での独立)。簿記がいちばん直接的に効く道です。単価は1社あたりで決まるので、何社受けるかの設計が要ります
- 会計システム側に回る(SAPコンサルとしての独立)。簿記は前提知識として効きますが、売り物はプロジェクトを動かす力に変わります
- 経営管理・数字の使い方を支援する。決算を作る側ではなく、数字で意思決定させる側です
どれを選ぶかで、次に足すべき経験も変わります。全体として食べていけるのかは経理のフリーランスで食べていけるのかに、経験の売れる・売れないの分かれ目は経理から独立できるかに分けて書きました。
今日からできる棚卸し
- これまで触った「自社以外の数字」を書き出す。 子会社、買収先、取引先の資料、監査対応。1件も無ければ、それが現在地です
- 各件に「期日と、自分が決めたこと」を1行足す。 決めた覚えが無い件は、指示された作業だったということです。それも事実として残します
- 書けた件だけを、困っていた状態から書き直す。 「月次を担当」ではなく「翌月15日まで数字が出ず、経営会議に間に合っていなかった」から始めます
書き方そのものはスキルシートの書き方にまとめました。ここまでやると、足りないのが経験なのか書き方なのかが、はっきり分かれます。
簿記で独立できるか、という問いは、簿記を何に当ててきたかという問いに置き換わります。
自社の中だけで使ってきたなら、次の1年で外に当てる機会を1つ取りに行く。それだけで持ち駒は変わります。資格をもう1つ増やすより、確実に近道です。
いま自分がどのあたりにいるかを整理しておきたい方は、30秒の独立準備度チェックから入ってみてください。登録は要りません。